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800年にわたる和歌の家・冷泉家に土蔵を造りたい
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和歌の家・冷泉家
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- 和歌というと何を思い浮かべられるでしょうか? 「小倉百人一首」を思い浮かべられるかもしれません。冷泉家の祖先は、その選者の藤原定家です。鎌倉時代にはじまり、夫である現在の当主為人は25代目になり、約800年の歴史を受け継いでいます。
京都に都が置かれた幕末まで、朝廷に仕える公家には、それぞれの家ごとに役目がありました。冷泉家は、和歌の家として、歴代が美しい「大和ことば」を使って誰もが見たことがあるような季節の美を歌に詠み、現代に受け継いできました。
昔ながらの蔵には、定家筆の「古今和歌集」や日記「明月記」、定家の父、俊成の「古来風躰抄」などの国宝をはじめ、多くの私家集など、日本文化を語る上で貴重な古典籍や古文書、宮中で行われていた歌会始や星に技芸上達を願う七夕の乞巧奠(きっこうてん)などの年中行事に必要な道具類を納めています。いずれも、日本文化の原点ともいえる、公家文化の結晶です。私たちは、そうした資料を失われることなく、次代に伝えていく責務を担っています。 -
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8棟の蔵で守り伝えてきた公家文化…台風被害で雨ざらしに
- 冷泉家が現在の場所に屋敷を定めたのは、江戸時代初めの慶長11(1606)年です。現在の建物は天明の大火(1788年)で焼失した後の寛政2(1790)年に再建され、公家屋敷本来の姿を忠実に伝えた貴重な遺構として、重要文化財に指定されています。京都御所周辺には幕末まで、冷泉家のような公家や宮家の邸宅が140以上も建ち並び、公家屋敷町を造っていました。しかし、明治維新でそのほとんどが天皇とともに東京に移り、邸宅も取り除かれました。「留守居役」となった冷泉家の屋敷だけが、今に残ることになったのです。
屋敷の周りにはかつて書物蔵や道具蔵、計8棟の蔵がありました。特に重要な書物を納める「御文庫」は、天明の大火の時にも焼け残り、収蔵物を守りました。少なくとも400年にわたって、歴史を守り伝えていることになります。しかし、道具蔵は長年の間に朽ち、3棟が崩れてしまいました。仕方なくプレハブ倉庫を3棟設け保管してきましたが、一昨年の台風で屋根が飛び、宮中との文書を交わす際に使った文箱や大量の短冊、当時の様子を伝える歴代当主の日記類、装束など、江戸時代の膨大な資料が一時雨ざらしの状態になってしまいました。
現在は他の蔵に収納したり、よそに分散して預けたりしている状況です。しかし、こんな状況をいつまでも続けていくわけにはいきません。私たちは公益財団法人として、古い時代から順に資料整理していますが、江戸時代はまだほとんどが手つかずです。貴重な資料を整理し、次の世代に受け継いでいくためには、まずはその資料を保管する蔵が必要だと思っています。 -
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昔ながらの蔵の建設 なぜ、土壁の蔵が必要か?
- 現代的な鉄筋コンクリートの蔵ならば、建てるのは簡単かもしれません。しかし、歴史的な景観とそこに収蔵する資料のことを考えると、そんな安易な選択はできないのです。
京都御所のそばに建つ、唯一の公家屋敷。御所に向いた、今出川通沿いの表門の周りは、築地塀をめぐらせ、歴史を感じさせるたたずまいを保っています。北側に建つ赤れんが風の同志社大学の建物とも、調和を保っています。そこに、コンクリートの収蔵庫が似合うでしょうか?
何より、そこに納める収蔵品にとっての環境もいいとは思えません。コンクリートの収蔵庫は、密閉度が高いかわりに、空調設備が必要となります。人工的な空調設備から吹き出す風は一定方向で、中に納めた資料は時々に場所を変えないと、適切な保存環境が維持されないと思われます。
私たちは検討の末、昔ながらの日本の風土にあったしっくい塗りの土壁の蔵を建てることを決めました。
しっくい壁は「呼吸」します。空調設備を備えたコンクリートの収蔵庫に比べると、湿度も温度も高めではありますが変動は少なく、自然に近い環境で保たれ、理想的といえます。何より、耐火性、耐久性に優れています。200年以上前の天明の大火の時にもびくともせず、現代まで残ってきたことが何よりの証でしょう。 -
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「北の大蔵」 思いつなぐ棚の整備を
- 計画中の蔵は、敷地の北側に建設予定で、東西14メートル、普通の蔵の3倍の大きさで「北の大蔵」と呼ぶことにしています。ただ、建設には約2億円が必要です。財団の資金だけではとうてい賄うことはできません。しかし、貴重な資料を後世にしっかりと伝えていくことを考えれば、立ち止まっていることはできません。さまざまな形で寄付やサポートを募り、この夏着工する予定です。
今回のクラウドファンディングの資金は、蔵の中に設ける棚の整備に充てるつもりです。蔵の建設と並行して保管する資料の整理を進め、分類して収納できるようにしたいと思います。ご協力いただいた皆さまの思いも重ねて、きちんと後世に伝える場にしていきます。 -
最後に
- ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございました。私たちが守り伝えてきたものは、単に冷泉家の歴史というわけではなく、広く日本文化の礎になるものです。今後、何百年にもわたって確実に受け継いでいくためにも、どうかこのプロジェクトに関心を向けていただき、ぜひ、大きな歴史の流れに参画してください。
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